私は今、昨年津市久居にレジデンス滞在制作されていた現代美術家・大野由美子さんのインスタレーション作品にお供しています。事故的に一年強に渡るプロジェクトになってしまい、きっと、津市の事業だったことと合わせて、皆さんの記憶の欠片にもないことでしょうが・・私は”棚から牡丹餅”状態に幸せを味わっています。
「私はダンサー」と言ったら踊ると思うでしょう。「私は役者」と言ったら喋ると思うでしょう。「私は表現者」と言えば表現すると思うでしょう。
人は自分の経験からしか物事を理解できせん。だからこの国には芸術家を奇異の目で見る人が多く存在します。
「私は作品の一部」と言ったら・・何をすると思いますか?
インスタレーション作品になります。静物ではなく動物の形で。
現代美術家と言ったら画家ではないのが分かるでしょう。陶芸家でもないことが分かるでしょう。
私はパフォーマンスアーティストです。ですが、それでは不安になるそうです。
久居のアルスプラザで発表した第一部「町」第二部「街」では、一般に伝わるダンサー/現代舞踊家としました。
この作品を観て、「全然踊らんかったな」と疑問に思った方はいませんでした。
もちろん、音楽もない無音のギャラリーに居ることを心地悪いと思った方もいません。(2~92歳までいらっしゃいました)
コロナ禍でお客さんに出会うことが難しい時に、芸術へ心を傾けていただき、芸術を分かち合えたことが幸せでした。


さて、今回のフライヤーには、私は即興舞踊家と書きました。
第三部「世界」の舞台が、国の史跡旧崇高堂(伊賀)という広い空間であり、焼成後の瓦の姿も見ていなかったからです。
即興というと”その場で思いつきで何かするだけ”と、やや歪曲されて理解されることもあるのですが、即興芸術の場合、芸術家自身のバックグラウンドやテクニック、観客との空間や時間をどう演出するかという、最大限に感性と感受性を瞬間瞬間に活用することになります。
「インスピレーションとか沢山浮かぶんですか?」という質問を受けましたが、「自分では全く考えたこともないですが、一般化するとそういうことでしょうね」と返事をしました。

思いつきですよ。思いつかなきゃ始まらない。
でも、それを観られるものに一瞬ですることができるのが即興舞踊家であり、それを聴けるものにするのが即興演奏家。だからそれをビデオに収めることも、動画サイトに揚げることも、私たちには意味をなさない。だってあの”瞬間”が一番美しいんだもの。
それで今、巡回展として、伊賀の直後から神戸の出来立てバイソンギャラリーで展示しています。
12月10日に初日。パフォーマンスアーティストとも自己紹介し、雑然としたバイソンの一部となりました。
12月27日最終日のあと瓦としばらくお別れとなるので、惜しみなく戯れたいと思います。