Artistがやってきた!②

11月に出会って、なんだか気の毒に思える瞬間もあったりしながら、津市の一つの地域にどっぷり浸かって。自分の疲労も分からなくなるような怒涛の日々。

先が決まらない事を楽しむ余裕もなく、追われて追われて年越し。

大野由美子さんは、社会主義と資本主義の中にある、ユートピアを探し続けている方だと思うのです。それはもしかしたら、東西に分けられたドイツにまだある気がします。

東西に分けられたベルリンが統一されて生まれた、アーティストが挑戦できる世界が答えだった気もします。

日本に留まる選択をせざるを得ない日常が重くのしかかる、私と同じ感情を抱えてました。

日本で活動をスタートした2020年の不安な気持ちを払拭するために、前に進むことがpositive energyと出会うということ。それが一番やらなきゃいけないことだと、声を大にして言ってくれて嬉しかった。

お陰で活動的に過ごせてます。YESE!メンバーも。感謝!

そんなわけで実験的に、YESE!で野焼きをしたんです。→→火の番が好きなメンバーが確保でき、なにせ条件が揃わないとできないこと。冬休みの大研究。いや、炊き出しの練習も兼ねた防災訓練のような・・・。

窯がないなら野焼き。土器づくりのような、非常に原始的でワクワクする時間でした。

残念ながら瓦は割れてしまいましたが、新しくコンクリート塀に貼りたいと思います。

Wild Art YESE!を開業して9年半弱。新しい瓦で未来を描きたいと思います。(そのうち)

Artistがやってきた!①

津市久居にはアルスプラザという、旧久居市役所庁舎の跡地に、コロナ禍に開館した公共施設があります。箱は、公の色はかなり抑えられています。ですが、公の雰囲気は至る所にあり、箱から芸術劇場を前面に押し出すヨーロッパを懐かしく思います。

そんな場所ですが、なんとか融合しようと挑戦されています。

レジデンスプログラム=公募でアーティストを招聘し、久居で制作してもらい発表する、という企画の第一弾が進行中です。

色々ありまして、Wild Art YESE!も協力し、応援し、制作を手伝っています。だって、アーティストの気持ちってアーティストにしか通じないことがあるでしょ?

現代美術作家・大野由美子さん。私が憧れる遊牧民生活をされています。

作品展は1月12日~23日。その間に3回、Yukoがインスタレーションの一部として登場します。

静のモノが動のモノになる、そんな芸術の形を是非体感してください。

「覚える」

最近、なぜか覚書といったモノに署名をしたり、覚書を確認するといった場面に出くわす。ビジネス場面でのことだ。しかし、「コンピュータのメモ機能を使う」程度のことも、覚書と使っても許容範囲のようだ。これは多分、英語でmemoやmemorandumという言葉であるから、手書きで作った覚書時代を経て、ほぼ打字時代の現在ならではの流れだ。

今の覚書は、何と幅の広いことか!

さらさらっと書いて、そこへ本人しか書けないような署名をぐちゃぐちゃっと書いて、覚書で良かったのに・・・。

なぜか、バチバチガチャガチャと打ち込んで、(いや、ドッドッドッドと叩くものもあるか・・)プリンターという名器に字を出させ、そこにわざわざ丁寧に署名し、日本の場合は捺印まで求められる。

「なにぞやわずらわしいことぞ」

手広くビジネスを展開すると、名器(名機)に頼らざるを得ない。ガリ版印刷で顔をインクまみれになっていた時代を懐かしく思う。

以上、

ガリ版印刷のことは見たことはないけど話には聞いたことがある私の、未来の大人への覚書。

Yumiko Yoshioka’s WS2020 リポート③

明るい優しい日差しが出てきてくれる、そんな春には、花粉を忘れて外でランチが幸せ。

鳥や風の声を聴いていたら、冬を超えた実感が湧いてくる。

昼間に動いて笑って、服を一枚脱いで感じて学ぶ時間。年齢は関係ないな~。

今日の終わりは温泉に浸かって、緩んだ体や緊張した時間を解す。

一年に一回、ここに集まって頂ければ、大きな喜びと新たな自分に出会えるのです。

We were glad to see you again,thank you!!

Yumiko Yoshioka’s WS2020 リポート②

とにかく由美子さんは元気である。一人でゴロゴロ転がしながら旅するのだから、自由で楽しく笑っている。日本人女性でここまでタフな人がいると、私なんかはひょろひょろ人間だと思える。私も旅好きだが、気の狂うような年間予定を立ててしまう旅人とは比べものにならない。そして各地から、文化や文明の報告を写真付きで伝えてくれる。由美子さんとの文通はかれこれ17年も続いているが、お互いに日本語盛り沢山で書く。でも時々頭に浮かぶ。同じことを英語やドイツ語、フランス語、イタリア語、スペイン語でやっているのではないか?と。あの人の頭の中はどうなっているのか感心するが、元々文学少女である由、旅を続けていればどの言語でも書けるのだろう。私はすっかり日本の住人になってしまった。決して悲しんでいるわけではないのだが、外が恋しいと思うことはしばしばあり。

日本に住んでいて世間の流行だけは身近に感じている。聞こえてくる流行りのポップスも口ずさむ。馴染むことはできている。ただ、美しい日本の四季というのが、どうも違っている。昨春だって、暖冬だった割にはのんびりやって来たし、夏だって7月はずっと雨が降っていた。冷夏だと言われたのに8月は38℃とか毎日狂っていた。

そういう時、由美子さんにこの手の話は通じない。彼女にはもう四季は存在しない。

「タイムトラベルする人にとっての一秒で、一年後の未来に行くには、光速の何%で進めばいいのか」との難題を5年生に投げかけられて困っている私にとって、由美子さんは正に異次元の世界で生きているのだと思える。ファンタジー要素のある人だから、年相応といった事物や通常の概念などといったことが実に無意味だ。

ヨーロッパに向かおうとした室伏鴻さんがメキシコの空港で亡くなった時、由美子さんもいつかはそうなのかなと思った。でも2020はその旅を止めるよう進言した。COVID-19で辺境の地で死んで、しばらくして遺骨だけ日本に帰ってきたらラッキーだけど・・なんて言って。実際、年間何度飛行機に乗っているのか知らないけど、事故など無縁でこれた運のいい人にとって、私の言葉は厄介だったかもしれない。でも旅の自由や爽快感を喜べない状況なんて、あっても仕方ない。代わりの方法はいくらでもあるだろう。

たまにはバイクで旅でも

Yumiko Yoshioka’s WS2020 リポート①

何かが起きた世界で、何かが起きたと忘れる時間があってもいい。多分、3月はまだ漠然とこの世の事象を捉えていた人が多かった。でも私は違った。もう中華系の飛行機は飛んでいなかったし、中国経由で日本に降り立つこともできなくなっていた。北海道から予約してくれた人も、ひょっとしたら発着便が突然なくなるという不安があった。それどころか、雪すら降らなかった昨冬はリゾート地には観光客が来なかった。

そう、全ては正月が明ける前から始まっていた。ビジネスの不成立。でもあっという間に、他業種でのビジネスも不成立になった。何度か書いたが、私はビジネスパーソンではない。アーティストの立ち位置を守るためにビジネスを装っている。本当は私より長けたアーティスト保護のビジネスをしてくれる人がいた方が助かる。だが、こんなに自分のスタンスが2020年を生き抜くには都合よくなるとは。。

私のアートをビジネスに落とし込んでもらえるなら、嬉しい。

「君のダンスを毎日見ていたい」というパトロンがいたら、色々お願いしたいと思う。

何度も言うが、アーティスト本人がビジネスをするのは、理想的ではないと思っている。

さあ、じゃあYumikoはどうなんだ?

彼女は私の心配をよそに、東京から白山にやってきた。毎春のお楽しみだ。白山でワイワイやっている間にも、次の地への準備に余念がない。で、私が伝える。「アメリカは難しいと思いますよ」。いくら仕事の依頼があっても、どんなに沢山の出会いが期待されていても、足が不確かになってしまうと予想された。もちろん、万が一のことを考えて追加の海外旅行保険も紹介した。

だけど彼女はビジネスパーソン。そうそう諦める気配はなかった。

心機一転!第二章が始まります。

Wild Art YESE!の変革期。2020年7月3日から新体制となります。

この一年色々ありまして、日本移住後に大切にしてきた事物、日本への恩返しというか地域貢献をするという活動に一つ区切りをつけます!

理由として、実は2018年11月に地域振興と言えばいいのかな?その為だけに、一つ任意団体(Landing in HAKUSAN)を創立しました。近所によく似た境遇のフィリピンから戻って来たfamilyがいまして、数年待ち望んでいた革命仲間ができました。とはいえ、私はあくまで「よそ者」です。これは嫌味でもなんでもなくて、自分の立場をよくわきまえて・・正しい言葉として使っています。そして革命仲間は、Uターンの私より5歳若い幼児を抱えるママ。タッグを組むには最高だと思いました。

その後、白山町の女性起業家が中心となり異業種交流会を開き、白山町の未来を担う新たな仲間を見つけました。

そうして、2019年4月に大急ぎで世間一般に向けて団体設立、というなんとも私らしくないことが起きました。(私は紙の上で起きる事より、目の前で起こることが大事)

6月には農林水産省の補助金を頂きながら、地域振興のため全力で動いていました。

つまり、ここのblogに記録しておく余裕がなく、時間に追われた令和元年度でした。

さて、引き続きこの令和2年度も補助金を頂いて活動ができることになりました。

そして、そちらの団体のHPも整いつつあります。英語版も近々リリースされるでしょう。

Landing in HAKUSANのHPへジャンプ!

今まで帰国者として、新たに出会った土地で地域貢献に奮闘してまいりましたが、やれることはやり切ったので、Landing in HAKUSANの枠の中でそれは継承していくこととして、Wild Art YESE!は本来の世界標準で「芸術Art」への想いを熱く燃やしていきたいと思います。

部分的にまだ構想段階ですので、追々----おーいおい、で。

 

大村未童の今

生きています。浮足立つことなく、生きています。

死を目指して日本を経ってしまった時から、ずいぶん経ちました。

白山を歩いて火を焚いていた時から、数年経ちました。

今を生きる若者たちに、希望を与え続けています。

「あのおじさん誰?」もうきっと怪しまれていないことでしょう。。

彼のTwitterから勝手に拝借して(文字数制限で読みにくいので、Retweetの形にできませんでした)、現状報告とさせて頂きます。

 

こんな時世に
東京と長野の二拠点生活を始めれたのは
義援金をくれた劇団の支援者のおじさん達
格安で離れや畑、そして農作の機材を貸してくれた母屋のオーナー夫妻
俳優修行で集まってくる若者達
農園を手伝ってくれる若者達
皆のお陰

大人になるということは、
自尊心との戦いだ

間違うと自尊心は肥大し、
自分を失う

応援してくれる皆様は、
頑張って乗り越えてこられた先輩方だ

わたくしもさらに
乗り越えてゆこう

幸せになろう

さあ、明日から四週間
稽古稽古稽古稽古稽古
俳優修行は、
自尊心との訣別だ
教えることも
同じ

ただ、わたしなどはまだ
訣別できず
教えるを通じ生徒から教わる
そうして生きてきた
まだまだ恩返し出来ていない、、
後10年、演ってみる