ゲストハウス イロンゴの紹介

こんにちは。今日は我々が全面的に協力し、白山を対外的に紹介していく手段の一つである「白山町内”初”民宿」について書きます。

俗にいう民泊の形態をとっていますが、農業体験ができ、フィリピン文化体験ができる民宿で、農泊とも言っています。オーナー自身は”農家さん”というよりは、農業の専門家であり、フィリピンの環境保全活動を主軸に生活され、白山へのUターンをして二年です。

とはいっても、やはりやはり!農家さんに育っていく人たちなんだな~と感じます。

とにかく勢いのいいオーナーの麻里さんは、ガツガツ仕事をするタイプで、きっと寝ていません。私たちのように、睡眠第一という人間ではないでしょう。。

まずは大きく騒ぐ!メジャー路線で勝負したオープニングパーティーは、大成功でした。

私たちは準備・広報を手伝う以外に、当日のステージ担当でした。

ステージといっても、麻里さんの家の駐車スペースで騒ぐ・・!・・いやいや近所を気にしなくていいって話だったので、マイク使ってMCやって、踊らせてもらって、次々音楽ライブやっていました。

MCの私は場を温めて踊って、出演者の紹介をして。3時間気が抜けませんでしたね~雨で一時間早く撤収になったのに助けられました。それではイロンゴのブログをどうぞ↓↓

3月30日オープニングイベント

そうして一ヶ月が経った今、民泊のお客さんもGW期間は沢山入っているようですね。それだけでも精一杯だと思うのですが、麻里さんは勢いよすぎるので、農業体験やら各種WSもどんどんやってきます。

発酵料理教室 しょうゆ

食にうるさいYESEの小学二年生が参加を希望しまして、有機醤油を仕込んでまいりました。

5月は味噌作りに田植え体験など、食が目白押しです。時代を遡ることで見えてくることを期待して、色々企画していると思うので参加してみてくださいね。

20190330_121152-1

こうしてイロンゴfamilyと付き合うようになって感じているのが、需要と供給のバランスとお金を生み出すこととは?という、創業・起業家の基本です。

米・みそ・しょうゆの需要は100%。食に関わる業種ってすごいですね。

いつ何時でも私が口にする「個人事業主だけど儲ける(られる)業種ではない」というWild Art YESE!の在り様には、起業家の基本はないのです。表向き起業している私、やはり芸術家で結構です。文化人でいさせてください。

農業はできないけれど農業の大切さを伝え、表現者を生み出す場としてのWild Art YESE!を続けていきたいと思います。

 

私がドイツで再会したかったモノ⑥

ワタクシ自身 Ich selbst

半身が捥がれた・・なんて言うと、大変大袈裟に聞こえるかもしれません。でも、今回渡独する前のワタクシは、そんなようなものでした。

言葉も存分に使いこなせない私が、それでもあの地に帰りたい、という想い。魂の宿る場所の一つ。

(いや、他の場所は何処なの?と聞き返されても、実は答えられないけれど、日本でいいのだと思ってます、今のところ。)

自分が常々自分でなくなっていく感覚。それが最大値に達すると、帰らねばならないのです。そしてまたワタクシ自身を満タンにしないといけません。ガス欠状態になる前に—-。

実は、せっかく色々な人と再会しても、溜まった想いを伝えるのは難しかったです。きっと日本が影響しすぎてたのでしょうね。Eronは迅速に同化していたので、「私が連れてきたのにズルイ・・」ぼそぼそ文句を言っておりました。とにかく、話すことが第一のお国柄ですから、私のようなのは後ろの方になってしまいます。

言葉にならない想いは、全て熱い抱擁と感謝の一言で。。

私より小さな人は同じアジア系女性しかいなかったんじゃないかな、と。これはとても贅沢なこと。いつでも、私の腕が回りきらない相手はかなりいますが、相手は必ず私を包み込んでくれます。近寄って行くと幸せな時間を味わえます。同じ時、同じ空気を吸った仲、そこにある美しい時間をこういう形で締めくくるのです。

——こう書くと、私は駄々こねて抱っこしてもらう子供と変わらない気もしますが、そうでもないんですよ。私より大きな13歳の少年少女に対しては、抱擁慣れしている私が”ちゃんと”包み込みます。「今度会う時を楽しみにしてるよ」という気持ちで。母親の気持ちで(笑)

しかし、

ワタクシ自身、まだ満タンになっておりません。Ich selbst noch nicht wirklich..

ですが、

こうして日本語でまとめていると、ワタクシ自身の統一が図られるのです。この作業をしないと、半身は2018年、半身は2023年、という未来が待っているのです。それはとても痛い事なのです。

・・というわけで、山の紅葉に心がスーッとする季節ですね。

皆さんも、流れて行ってしまう日々を、時々は堰き止めてもらって、皆さん自身の流れを改めて作っていただけたら、、と思います。

 

 

 

 

 

 

 

私がドイツで再会したかったモノ⑤

多文化多民族共生社会

ちょっと難しいですね。これはWild Art YESE!が、日本の皆さんにお伝えできることの一つであり、地球全体で包括的に取り組むべき課題であります。なので、再確認も含めそこに生きる人々の様子を知りたかったのです。

Berlin時代は、こういう社会を受容するための教育プログラムを提供する団体にも所属していたので、各教育機関や地域に出向くことがありました。その中でも最後に一人で出向いた先で、当時私を担当していた女性に今回も会っています。

「もう73よ~」と言っていました。何気なく聞いてしまいましたが、1945年生まれなのでしょう。それってドイツはどういう時代だったか想像つきますね。

だからこそ、反ナチス反人種差別社会などの活動を今でも続けているのでしょう。メルケルさんの政策で難民が溢れかえった4年前は、いくらか日常生活が脅かされている印象を受けましたが、うまく落ち着いたのだと思いたいです。次に会う時は、もっと深い話ができたらいいな・・10年経て今さら感じています。

それから、4年振りに訪ねて何が一番気になったかといいますと、会話です。
(この人たちって、いつまで一つのことで説明し合ってるんだろう??)

(うわっやっと前に進んだ、この会話!)

 

・・・というわけで、ドイツの平和な夏の日々(左:平日午後/右:週末)

 

 

私がドイツで再会したかったモノ④

B-girlz / Mädels

 

問答無用。2003~2009年 素晴らしき時代だった。。。

2018年。みんな、完全に大人になった。家族のような美しき人々。

Dirty Mamas in Lindental

kloentalersee1

2000年から目を向け始めたヨーロッパと、今でも繋がっているという事実。

満たされなかった好奇心が、こうして今でも育っているという事実。

 

人それぞれ。アナタにはアナタだけしか育てられない未来がある。

勇気が足りないなら、お背中押します。

アナタはアナタになるのです。

Danke Mädels!!

私がドイツで再会したかったモノ③

元同僚

今となっては少しもったいなかったかな、という写真左。小さなボストンバッグに衣装と着替え3日分。カメラはないし、英語は頼りないし、買いたい物もないし、映画も観ないし、☆見ても興奮しないし、、2006年Hollywood。

リニューアルオープン前のグリフィス天文台にもとく特別招待されたんだけど、、知らぬは恥なのか得なのか—- 平常心でお仕事に取り組めてよかったね、という思い出写真です。

その後も、ここにいる数人とは一緒に働いたり、情報交換したり、Hey!Yo!の関係が続きました。それでも、みな人生の岐路に立ちますから、自然にさよーなら。

 

干支が一巡した今年、二人と会えました。

一人は脚本家で、Beatbox musicalをドイツ国内で巡回公演をしており、ちょうど子供向けの作品がBerlinであったので、家族で楽しんできました。これから二年のうちに英語版を完成させると言っていたので、完成したら世界ツアーします。

RAZZZ FOR KIDS (←ドイツ語のビデオ)

 

もう一人は一番多く一緒に踊ったダンスパートナー。八年半ぶり!

遅くとも10年後(60+50)にbattle showをする提案がありました。これは遊びなのか、祝い事なのか、老いへの挑戦なのか、商業目的なのか全く分かりませんが。。

未だにドイツ語を話し、体型も変わらずに踊り続けている私への、驚きと賛辞の意味があるようです。そして、本来なら山ほどの提案をする彼から出た、たった一つの提案だから、私も熱い気持ちを持ち続けようと思っています。

 

私がドイツで再会したかったモノ②

HipHop culture

当時、これを強く求めて、Berlinに移住したわけではなかったのです。ところが、平日放課後に集う場所があちこちにあり、週末となればイベントが重なるほどでした。年齢的には間違いなく年長者でしたが、アジア人特有の見た目と、拙い語学力で、家族で移住してきた一家というくくりで見られていたのでしょう。ある意味、可愛がってもらえましたし、守ってもらっていました。

とても心地よい場でした。

数年が経ち、仕事のオファーを定期的に頂けるようになると、背景が知れ渡り、立場が随分と変わりました。集う場を提供する側だったり、子供たちに生きることを伝えたり、HipHopのイロハを講義したり(はしっくれだったけど・・)、社会福祉にかかわったり、、この見た目で損も得も十分経験しました。

最終的に↓このような出版物の対談で、「後に日本に何かを持って帰るとしたら・・」というようなことを話しています。ドキッとしました。というのも、今回の渡独で初めて全部読み、10年前に自分が考えていたことに、改めて関心を抱いたのです。

今回仲良くしてくれた男の子3人↑17~21歳です。190cmくらいあるのですが、体を小さくしながら食事を用意してくれているところ。彼らは、流行りのダンスレッスンを受けに来た、元小中学生です。2009年のCrew解散になった後に、私の隣りに写っている彼女が育てた子供たちです。親子以上に歳の差はありますが、きっと「大切にしたいお姉さん」という感じで、つるんでいるようでした。

相思相愛の師弟関係?親子関係かな、やっぱり。

羨ましいな・・。私にもそんな小中学生がいましたが、どれほど想いが通じ、今どこで何をしているか、知る由もなし。それでも、お裾分けもらえて嬉しかったです。

そんなわけで日本に戻ってから、20年近く保護司をされていた方の話を伺い、重なる想いがありました。

 

補足:今のBerlinは、さらに多様な人種・価値観に溢れ、商業主義のダンス業界の影響もあり、HipHop cultureは絶対的立場を失っていました。しかしそこはunderground cultureの側面もあるので、消えずに復活の気配があるようです。

 

 

私がドイツで再会したかったモノ①

踊りの先生

「Yuko、私、去年Tokyoで踊ったの。Susanne Linkeの作品で・・」
「それ・・観たかった」
「ごめん。でもTokyoよ、しかもたったの4日間の滞在!」
「いや、そういう時は、東京に出掛けることにしてるよ。前もPina Bausch日帰りで行ったし。大阪より東京に行くことがあったし。」

about Susanne Linke’s (←作品については新聞記事をどうぞ)

FT16_dorehoyer01

この方、私の先生です。クラッシック、モダン、コンテンポラリーダンサーです。
2004年より裏方を手伝い、体の使い方を学び、子守をしたりしながら、傍で見て参りました。前回2014年には、あまり時間もなく、言葉を交わせなかったのを覚えています。

そして、彼女に辿り着けるのか不安なまま、あまりに時間がなかったので、突撃訪問という形になりました。それを許してくれるのもBerlinならではかもしれません。

今回、色々な想いを共有することができました。それはもしかしたら『踊りを愛して止まない母親』という共通点があったからかもしれません。

「ただ、ずっと踊っていたい」その言葉に・・しびれました。ぞわっとしたのです。

別れに際して—- あんなに強く温かく抱きしめあったのは、初めてでした。

 

補足1:正しくは、一昨年2016年に東京公演をしたようです。(それなら行けなかったわ)
補足2:Susanne Linkeはこの業界では重鎮も重鎮。実は吉岡由美子氏も共演した過去があります。その際に、60代の彼女が美しく踊っている姿を見たので、今日、我らがYumiko Yoshiokaが60代で踊り狂っているのを見ても、驚かないのかもしれません。